大相撲:朝青龍のプロフィールを紹介!【大記録を打ち立てた角界の暴れん坊】

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朝青龍の基本情報

四股名朝青龍 明徳
本名ドルゴルスレン
ダグワドルジ
生年月日1980/9/27
身長184㎝
体重148㎏
出身地モンゴル
ウランバートル市
出身校明徳義塾高校
所属部屋若松部屋
→高砂部屋
得意技突っ張り、左四つ、投げ
初土俵1999年初場所
十両昇進2000年9月場所
初入幕2001年初場所
横綱昇進2003年大阪場所
最終場所2010年初場所
通算成績596勝153敗76休
受賞歴優勝25回
殊勲賞3回
敢闘賞3回
幕内在位55場所

朝青龍の強さについて

多彩な技で2000年代の土俵を支配!

朝青龍は多くの優勝記録を打ち立てた、2000年代の最強横綱の一人です。

全盛期の朝青龍

朝青龍の相撲は強靭な足腰に支えられた多彩な取り口が魅力。

幕内昇進から引退までの間の決まり手の数は41種類で、離れていれば突っ張り、接近戦では寄り・投げと、あらゆる状況・相手に対応できる万能型の力士でした。

その一つ一つの技の質の高さに加えて、高い身体能力が合わさって土俵では敵なし。

初土俵から引退までの11年間で数々の記録を打ち立てました。

入門から史上最速で横綱に昇進を決める!

高校時代にモンゴルから高知の明徳義塾高校に入学すると、メキメキと頭角を現し、高砂親方に見初められ、中退して高砂部屋に入門。

デビュー当時から闘争心をむき出しにするスタイルで連勝街道に乗り、わずか1年で十両に昇進し、その1年後の2001年には初入幕とスピード出世を遂げます。(このとき若干21歳)

幕内でもその実力は抜きんでており、貴乃花や武蔵丸といった横綱相手でも引けを取らない相撲を披露。

貴乃花とのガチンコ勝負で敗れ感情を露わにする朝青龍

幕内上位時代に格上を相手にしたことで、さらに成長スピードに拍車がかかり、2002年九州場所・2003年初場所で連続優勝したことで横綱に昇進。

初場所から25場所での横綱昇進は、6場所制になってから史上最速記録でした。

また、モンゴル人としては初の横綱になるなど、いろいろと”初”ずくしの横綱昇進となりました。

史上初!年間完全制覇の偉業を達成!

横綱に昇進してからも、朝青龍の連勝街道は止まりません。

横綱昇進と同時に、貴乃花や武蔵丸といった実力者が引退したこともあり、土俵上では無敵状態。

2004年に6場所中5場所で優勝すると、2005年には年間6場所全てで優勝する完全制覇を達成。(2004年の九州場所でも優勝しており、通算で7場所連続優勝でもありました)

年間完全制覇は、大鵬や千代の富士などといった偉大な横綱でも未達成の大記録であり、当時は大きな話題となりました。

その後、並び立つライバルの白鵬が台頭したことやケガでの休場が増えたことで、優勝回数は減少。

それでも幕内通算で596勝153敗(勝率79.6%)、優勝回数25回の怪記録を残しました。

引退後

不祥事の責任を取り、突然の引退

土俵上では無敵の朝青龍でしたが、私生活ではトラブル続きで、たび重なる不祥事を起こしました。

引退のきっかけも実力の衰えではなく、自身が引き起こした暴行事件がきっかけで、史上初の引退勧告を受けての引退でした
(詳細はこちら

横綱まで昇進していたものの、日本国籍を取得してなかったこともあり年寄名跡が取得できず、引退と同時に角界を去ることになったのです。

引退後はモンゴルで活躍

引退を機にモンゴルに帰国した朝青龍ですが、地元のモンゴルでは大スターとして迎え入れられ、実業家に転身

さらには、モンゴルのレスリング協会の会長を務めたり、大統領特別大使に任命されるなど、日本とモンゴルの架け橋としてVIP待遇を受けます。

また、日本でのテレビ出演やTwitterでの奔放な発言で話題になるなど、引退後も日本で人気者として知られています。

朝青龍のキャラクター・逸話

奔放な発言が物議を醸し品格が疑われる

現役当時から、数々の問題行動・発言が物議を醸した朝青龍は、たびたび”横綱としての品格”について横綱審議委員から苦言を呈されていました

朝青龍の奔放な発言・行動の代表例は下記のとおりです。

・ケガで巡業を休場中に無許可で地元モンゴルに帰国
・上記の帰国中にサッカーイベントで豪快なシュートを決め、仮病疑惑が噴出
・テレビ出演時のギャラの未申告が発覚し、追徴課税3000万円以上を課される
・舞の海氏から話しかけられて「顔じゃないよ!」と一喝する
(「顔じゃない」とは身分不相応の意)
・白鵬に勝利した際に土俵上でガッツポーズを披露し厳重注意を受ける
・引退後に飲酒運転で罰金処分を受ける
・その他暴行疑惑多数

ここまで朝青龍が増長し、ワガママになったのは主に二つの理由が挙げられています。

一つは、朝青龍の全盛期は、一人横綱でライバルもおらず、土俵で負けなしだったこと。

二つ目には師匠の高砂親方も朝青龍の奔放な行動に目をつむったことで、朝青龍のワガママがエスカレートしたことです。

特に、高砂親方については、その指導力(精神面)について疑問符が付くことになってしまいました。

繊細な性格が奇行の原因?

不祥事のオンパレードで、日本では悪者扱いされている朝青龍ですが、何も心からの悪人というわけではありません

朝青龍はもともと素直で繊細な性格をしており、稽古も真面目に取り組む好青年でした。

しかし、モンゴル人力士ということに加えてあまりの強さに、勝っても喜んでもらえなかったり、横綱審議委員会からの度々の苦言など、なかなか認められない状況が続き、悔しい思いをしていました

また、横綱となり注目を浴び、土俵内外で責任を背負わされ、多大なストレスを抱えたことで数々の奇行に走ったとも考えられています

アスリート・格闘家として朝青龍はとても優秀でしたが、品格を求められる横綱というポジションは彼にとっては非常に窮屈なものだったのではないでしょうか。

Twitter芸人としても日本で話題に

引退後の朝青龍は、Twitterでたびたび話題になることがあります。

朝青龍のツイッターアカウント

遠く離れたモンゴルからでも、日本の相撲界への愛のあるツイートを多く残してくれています。

一方で、私生活についての奔放な発言も健在。

ファンからのリプライは「アホ氏ね」と辛らつ
以前飼っていた犬は「死んだ」とのこと…

引退した今でも、相撲ファンを楽しませてくれる朝青龍の今後のさらなる活躍に期待したいところですね。

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