大相撲:霧島のプロフィールを紹介!【猛烈な筋トレで大関に上り詰めた努力家】

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霧島の基本情報

四股名霧島 一博
本名吉永 一美
生年月日1959/4/3
身長186㎝
体重130㎏
出身地鹿児島県霧島市
出身校
所属部屋君ヶ濱部屋
→井筒部屋
得意技左四つ、寄り切り、
上手出し投げ、うっちゃり
初土俵1975年大阪場所
十両昇進1982年5月場所
初入幕1984年名古屋場所
最終場所1996年大阪場所
最高段位大関
通算成績518勝507敗40休
受賞歴優勝1回
殊勲賞3回
敢闘賞1回
技能賞4回
幕内在位71場所

霧島の強さについて

細身ながらも、力強い四つ相撲を披露!優勝経験も!

霧島は80年代後半から90年代にかけて活躍した力士です。

186㎝の長身ながら130㎏台の細身の体形をしていましたが、得意なスタイルは四つ相撲

立ち合いから一気に廻しをつかみ、寄り切り・吊り・出し投げとパワフルな決まり手を決めるなど、見た目とのギャップのある力士でした

つり出しで最強横綱・千代の富士から勝利!

また農家の出身ということもあり足腰も強く、土俵際で残してのうっちゃりなど、何度も逆転を決めることもあり、人気がありました

土俵際に追い込まれるも、うっちゃりで逆転勝利!

実績も十分で、優勝は1回、三賞は8回経験しています。

幕下時代は体重が増えずに苦労。9年がかりで初入幕へ

1975年に中学卒業後に初土俵を踏んだ霧島は、もともと体を鍛えるのが好きだったこともあり、入門当時から力強い相撲を披露していました。

しかし、ほかの力士よりもひと際体重が軽かったため、重量級力士の突き押し・速攻相撲とは相性が悪く、なかなか幕下の壁を破れず。

実力が評価されながらも、十両昇進まで7年を要します。

さらに、十両昇進直後に関取の壁にぶつかり、即幕下落ち。

その後、なんとか体重を増やして、重量級力士と渡り合えるようになり、入幕まで9年かかっています。(新入幕当時は25歳と遅咲きでした)

猛烈な筋トレで体を鍛えて、大関に昇進

幕内に昇進すると、3年がかりで三役に昇進するも、幕内上位の力士に全く歯が立たず、連敗を重ねて10敗以上を複数回記録します。

このままでは全く通用しないと感じた霧島は、1989年ごろからウエイトトレーニングに注力し、当時は一般的ではなかったプロテインを摂取するなど最先端の栄養学を取り入れ、肉体改造を敢行

インタビュー冒頭で現役時代のトレーニングの様子が流れます

その結果、ベンチプレスは200㎏以上、スクワットは300㎏以上のパワーを手に入れ、体重も110㎏台から130㎏台まで増量に成功

そして、徐々に成績を伸ばした霧島はついにブレイクを果たします。

1990年の初場所で千代の富士・北勝海の2横綱と1大関に勝利し、敢闘賞を受賞し、優勝同点となり、横綱たちと激しい優勝争いを披露。

このパフォーマンスが評価され、31歳にして大関昇進の栄誉を勝ち取ります。(現在でも大関昇進の最年長記録です)

しかし、霧島のキャリアのピークはここからでした。

1991年の初場所では、千代の富士・北勝海や旭富士といった並み居る横綱衆を次々と下して14勝1敗の立派な成績を残し、悲願の初優勝を達成

北勝海を破り優勝を決めた!

初土俵から史上最も遅咲きでの初優勝となったことで、霧島の初優勝は当時は大きな話題となりました。

しかし、その後は年齢もありパフォーマンスが衰え、1996年に十両に陥落したことで現役を引退。

しかし、大関から陥落しても人気は衰えず、角界でも随一の人気力士であり続けました。

親方としての活躍

井筒部屋の部屋付き親方になったのちに、陸奥部屋を継承

現役を引退した霧島は、借り名跡として”錣山(借り名跡)”を襲名し、その後”勝ノ浦”親方として所属していた井筒部屋の部屋付きの親方として親方キャリアをスタートします。

その後、同じ時津風一門の陸奥部屋の親方が定年退職をしたことを機に、陸奥部屋を継承し、陸奥親方となります。

陸奥部屋では、霧の若や霧馬山といった関取を輩出しています。

井筒親方が死去した際に、井筒部屋の力士を受け入れる

もともとは井筒部屋に所属していた霧島ですが、現役当時から同部屋の逆鉾とはそりが合わず、険悪な関係で有名でした

しかし、2019年に井筒親方(元逆鉾)が亡くなった際に、鶴竜などの井筒部屋の力士を陸奥部屋で受け入れることを発表。

二人の関係性を知っていた関係者からは、この決断は大きな驚きをもって受け入れられました。

霧島のキャラクター・逸話

「角界のアラン・ドロン」と呼ばれるイケメン力士だった

霧島は、整った顔立ちに加え、ソップ型の筋肉質な体形をしていたこともあり、イケメン力士として人気のある力士でした

相撲協会が初のパリ公演を行った際には現地の場内放送で「角界のアラン・ドロン」と紹介されたりもしました。
(アラン・ドロンはフランスの有名なイケメン俳優のこと)

しかし霧島の人気を支えたのは、そのルックスだけではありません。

土俵上でのスピーディーで力強い取り組みに加え、スリリングな逆転劇など”魅せる”相撲をしていたことも大きな要因といえるでしょう。

自身の四股名を冠したちゃんこ鍋屋を両国で経営!

霧島は土俵外での人気・知名度を活かして、自身の四股名を冠したちゃんこ鍋屋・ジンギスカン屋の役員として経営にかかわっています。

特に、ちゃんこ屋は両国駅の目の前の8階建てのビル全てがちゃんこ屋となっており、非常に有名

レビューサイトでも高評価を得ています。

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